予測の難しさと向き合った朝

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それは、突然でした。

朝8時。
その少し前までは、バイタルサインも維持されていました。

心疾患を抱えている方でしたが、
その時点では大きな変化は見られていませんでした。

それでも、その後、
不整脈が出現し、
徐脈となり、
血圧が測定できなくなりました。

ほんの短い時間の中で、
状況は大きく変わりました。


予測できたのだろうかという問い

心疾患のある方の急変は、
予測が難しいことがあります。

兆候がはっきり現れることもあれば、
そうでないこともあります。

今回、
直接的なケアの不足や報告の遅れがあったわけではありません。

必要な観察と対応は行われていました。

頭では、そう理解しています。

それでも――

「本当に、何もサインはなかったのだろうか」

と、何度も振り返ってしまいます。

あの時の表情。
あの時のモニターの波形。
あの時の、わずかな違和感。

今になってから、
意味があったのではないかと思えてくるのです。

答えは出ません。

けれど、問いは残ります。


家族との時間について

家族との時間についても、考えさせられました。

医師から説明があり、
ある程度の見通しが共有されていることもあります。

老衰のように、
数日かけて少しずつ血圧や脈拍が低下していく経過もあります。

その変化をご家族とともに見守れる時間がある場合もあります。

けれど、すべてがそのように進むわけではありません。

今回のように、
朝6時には状態が保たれていても、
短い時間の中で急変することもあります。

「安定している」という言葉は、
その瞬間の状態を示しているだけで、
未来を保証しているわけではありません。

予測できる経過もあれば、
予測が難しい経過もある。

その境界は、
後から振り返って初めて見えることもあります。


振り返りから、次へ

今回の出来事から、
いくつか心に残ったことがあります。

まず、
「落ち着いている」という言葉を、少し慎重に扱うこと。

今は穏やかに見えていても、
その状態が続くとは限らない。
その前提を心のどこかに置いておきたいと思いました。

そして、
「今は大丈夫」と「その人の持つリスク」は別に考えること。

目の前の状態だけでなく、
背景にある疾患を思い出す時間を持つこと。
それだけでも見え方は変わる気がします。

最後に、家族との時間です。

急変は予測できないことがあります。
だからこそ、
“今この時間”をどう共有するかを、
これまでより少しだけ意識したいと思いました。


整理された、ということ

今回の出来事は、
明確な答えをくれたわけではありません。

けれど、
振り返り、問い続けることで、
少しだけ自分の中が整理されました。

予測には限界がある。

それでも、
問い続けることはできる。

その揺れの中に立ちながら、
また次の現場に向かいます。